2020年3月28日土曜日

子どもの読書傾向

Z会グループ、小中高生の読書に関する実態調査、読書好きの子は文章を書くのも好き

 

【栄光】小中高生の読書に関する実態調査を実施しました。

 

小中高生の読書に関する実態調査 読書は“紙”が主流も、中高生の1割はスマホで

 
 
調査の対象が、意識が高い集団なのかもしれませんが、こちらの調査では、7割読書好きと答えているようです。
(といっても、本人ではなく、その保護者がですが)
 
また、小学生では100.0%が、中高生97.8%紙の本で読書をしていると答えています。
(一方、中高生の9.0%は「スマートフォンで読む」と回答)
 
これまでの数回で、読書離れ紙の本離れが進んでいるような調査結果を紹介しましたが、調査の対象や聞き方によって、当然ですが、結果の傾向は変わってきます。
 
実際のところは、どうなのでしょう?
 
ボク自身、職場では、このような状況でも、毎日、熱心に図書館を来館される方達に接し、自宅に帰れば、黙っていればいつまでも読書を止めない子ども達を見ているので、どうも強いバイアスがかかってしまうのです……
 
 
 
 
 
 

2020年2月4日火曜日

「読書」は必要か 続き

引き続き、この話題。
 
まずは、こちらから。
 
学研教育総合研究所「小学生の日常生活・学習に関する調査」
 
読書量/月
 
 
こちらの調査によると、小学生が1ヶ月に読む本の平均冊数は3.1冊。
これは、30年前平均9.1冊約3分の1になっているとのことです。
 
一方、こちら。
 
「テレビを観る時間/日」
 
 
同様にテレビの視聴時間を見ると、1日平均1時間15分、こちらも、30年前に比べて、50分も短くなっているそうです。
 
前回、テレビも読書と同様に、インターネットゲーム含む)との可処分時間の奪い合いに負けたのではないかと予想しましたが、そのとおりのようです。
 
なんというのか、相対的に読書楽しさ重要度必要性が下がっているんですね。
 
なんとなく、それじゃマズいと思いがちですが、ただ、そのテレビが社会に浸透し出した当時も、やはり、今と同様、受動的なメディアの普及により「一億総白痴化」すると言われましたが、そこからも、それなりに社会は発展してきたように思います。
 
 では、本当に「読書」は必要なのでしょうか?

2020年2月3日月曜日

「本離れ」の原因は何か

「2019年の出版市場を発表
紙+電子は0.2%増の1兆5,432億円のプラス成長。紙が4.3%減、電子が23.9%増」
 
「「若者の本離れ」を嘆く出版業界の大きな間違い」
 
前回に引き続き。
 
上の記事によると、前回の内容を裏付けるように、特に「紙の本離れ」が数字からも分かりますが、下の記事では、その原因を、国民の「購買力の低下」に求めている点が、おもしろい点かと思います。
 
ただ、人々の読書欲は以前のままで、本の購入に回せるお金が少なくなった事だけが本離れの原因であれば、勢い、図書館の利用が増えそうですが、そう単純でもありません。
 
「「日本の図書館統計」2018 公共図書館 経年変化」
 
やはり、主にインターネット利用との可処分時間の奪い合いに負けたと見るのが穏当ではないでしょうか。
 
しかしそれは、なにも本だけでなく、新聞テレビも同様です。
 
目的が娯楽であれば、かける労力と得られる楽しさ効率のより良い方に需要が向かうのは必定ですよね……
(結局、同じ結論(笑))

2020年1月14日火曜日

「読書」は必要か

先日、故あって、このあたりを見ていました。
 
「国語に関する世論調査」
 
 → 平成30年度
 
「第65回学校読書調査」の結果(全国SLA)
https://www.j-sla.or.jp/material/research/dokusyotyousa.html
 
 
「子供の頃の読書活動の効果に関する調査研究報告(速報版)」
 
 
それぞれ調査対象調査規模も違いますが、共通して言えるのは、本を読まない人の割合がかなり増えている事です。
 
そして、こんな記事。 
 
「PISA調査 日本の読解力低迷、読書習慣の減少も影響か」

2017年4月23日日曜日

「司書の書誌」第47回 司書の攻防

既に旧聞に属するかもしれませんが、例の某大臣の学芸員に対する発言問題。

いみじくも、当の学芸員さん達がおっしゃっているとおり、今回の件に関する全ての文献(?)を見ている訳ではないので断定したモノいいはできませんが、それでも、ちょっと見ただけで、あまりにツッコみドコロの多すぎる大臣のご理解及びご発言に、かなりゲンナリしてしまいます……

で、この問題に対する意見の中には、

「すわっ、次は司書か?」

というような発言あったように思いますが、司書が、そこまで職業意識からくるウザさを為政者に対して与えられているのかなと、自戒を込めて思いました。

さて、気を取り直し、今回の問題の抽象度を少しあげてみると、既に他で指摘されているとは思いますが、そこは結局、資料の利用側と保存側のせめぎ合いという、古くて新しい課題に行き着くのかなと思います。

そしてこれは何も、外に目を向けるまでもなく、同じ館内でも、利用系のセクションと保存系のセクションで、まさに毎日のように、同じような攻防が続いているのではないかなと思います。

改めていうまでもなく、利用も保存もいずれも大切です。
というか、長い間の利用に耐えるために、キッチリ保存する必要がある訳です。

しかし、物理的なモノ、特に紙のような(ある意味では非常に強固ですが)弱いマテリアルの場合、利用によって劣化するコトはどうしても避けられず、勢い、保存のためには利用を制限しなくてはいけないという方向に向かいがちです。

そこで考えられる方法が、たとえば、保存用と利用用の資料を複数持つというソリューション。
ただこれは、言うまでもなく、保管場所と、整理のコストを含む予算上の制約がありますし、利用用が利用に耐えなくなった場合にどうするかという問題もあります(最近の本は、再入手不可のモノが多い)。

そこで、次に考えられるのが、そう、電子化ですね。

こちらは、電子化する際のコストはかかるモノの、その後は、利用による劣化や場所の問題は起こりませんし、さらに、同時に多くのヒトも利用できます。

ただ、今のトコロ、とにかく、使いにくい(笑)。

もちろん、個人的には本以外は認めないという立場ではありませんし、そもそも、本もそれほど完璧なでデヴァイスではないような気もしますが、ただ、やはり、いくら大きくても、パソコンの画面に向かって細かいもしくは繊細な文字を読んで作業するのはあまりに効率が悪いし、何より、カラダに悪い(苦笑)。

これが、タブレットになればいいかというと、ザンネンながら、今のトコロ、こちらも思った程ではありません。

今後、根本的に画期的な読書用端末が出てくれば別ですが、それまでは、意外と、一度電子化した資料を、本格的に利用する際には紙に再出力するという、NDL戦法が最も有効な方法なのかもしれません……

ともかく、そうやって考えてみると、今回の件は、そのあたりの課題を、改めて浮かび上がらせたのかなと思います。

……他の、あまり見たくないモノも浮かび上がってきましたが(苦笑)。

2016年10月20日木曜日

「司書の書誌」第46回 司書の料金

先日、利用者の方から(強目の)ご意見をいただきました。

当館は、府内の図書館等に自館の本を運び、その図書館を通じて利用者の方に本をお貸ししている訳ですが、その利用者が、ネットを通じてその本の取り寄せを申し込んでからその本が手元に届くまで、あまりに時間がかかり過ぎる、某巨大ネット書店で本を注文すれば翌日に届くこのネット社会で、一体、どういうコトだ、という訳です。

お聞きすると、まぁ、いろいろ不幸な偶然が重なり(得てして、この手のご意見をいただく時は、そういった場合が多いですが)、利用者の方のおっしゃるコトももっともでしたし、お気持ちもよく分かります。

ただ、あとで考えると、自分達のコトを棚に上げる訳ではないですが、やはり、民間のサーヴィスと公共サーヴィスを無条件に比べるのは、いささかフェアではないかなと思います。

まずは、そのサーヴィスを受ける際の対価、つまり、料金です。

「図書館の本は無料で読める」という言い方をしますが、もちろん、これは正確ではありません。
本屋さんやネットショップのように、その場での支払いはありませんが、「税金」という形で、(事前に)対価を払っています。

しかし、税金の中には、図書館以外にも、日々の生活にかかる様々な公共サーヴィスの費用(医療、教育、交通、安全……)が含まれており、正確には算出できませんが、こと図書館の、その本を利用するために使われている金額は、その内のごくわずかになります。

一方、ネットショップに頼めば、本の代金プラスある一定の購入額以下の場合は郵送費もかかります。
ただ、この場合は、図書館とは違って本を所有できますので、やはり、一概に図書館と比べる訳にもいきません。しかし、そうは言っても、図書館から本を取り寄せるよりは、多くの料金を払っているの間違いないでしょう。

「公共サーヴィスは安い料金しか払っていない。だから、サーヴィスの質が低くてもいい」という訳ではありませんし、もしかしたら、そういった意識が見え隠れするあたりが、昨今の民間委託への動きにつながっているのかもしれません。
ただ、公共サーヴィスの目的が、市場外の経済を担い、まずは、最低限でも、くまなくサーヴィスを提供するコトである以上、それに応じた対価を払い、(対価さえ払えれば)無制限に最高のサーヴィスを受けられる民間と同様に比較するのは、やはり、いささか無理があるのではないでしょうか。

「高い税金を払っているのに!」というお気持ちや、類似の民間サーヴィスと比較したくなる気持ちはよく分かりますが、そもそも、趣旨や目的が違うことをご理解いただけるとありがたいのですが……

2016年10月13日木曜日

「司書の書誌」第45回 司書の無制限

Amazonの定額読み放題サービス「Kindle Unlimited」が、提供出版社に断りなく、コンテンツの一部(出版社によっては全部)を削除していた(Unlimitedのラインナップからはずしていた)コトが分かり、(少なくとも、我々の界隈では)大きな話題となっています。

この件については、Amazonと提供出版社の双方に言い分があると思いますが、それはともかく、それだけ簡単に、かつ、大量のコンテンツに一気に変更があるのは、とりもなおさず、ユーザが一番混乱しますし、大きな迷惑を被ります(被りました(笑))。

考えてみれば、図書館の本も、基本的に定額(というか、無料)の読み放題サービスと言えます。

もちろん、Kindle Unlimitedと比べると、同じ本を同時に何人かで借りるコトはできませんし、(わざわざ)図書館まで行く必要があります。
一方、貸出上限はAmazonにもありますし(一時に10冊)、それこそ図書館では、ある本が急に読めなくなったり、ある特定の出版社の本が突然、一斉になくなったりというコトはありません。
(ただ、書庫スペースの関係等から除籍される本があったり、ごくまれに、不幸な事件が起こったりはしますが)

Kindle Unlimitedが登場した時には、これで図書館も必要なくなるのではという論調もありましたが、なかなか、そうは簡単にいきません。
それは、言うまでもないコトですが、「営利を目的とするかどうか」が、両者の最も大きい違いとしてあるからです。

もちろん、営利追求を否定するつもりは全くありません。
その目的のお陰で、ボクを含めた多くのヒトが、(いろんな意味で)喜ぶ、楽しめるコンテンツが提供されるからです。

ただ、前にも書いたように、売られている本には、純然たる”商品”としての面と、公共に資する”文化財”としての面が、分かちがたく混在しています。

公共図書館は、主に後者の面を考慮して制度設計をしていけばよいですが、Kindle Unlimitedをはじめとした電子書籍発行企業はもちろん、書店や出版社等、売られている本を生業をしている方達は、まずは、前者の面を安定して整えていかないといけませんし、もし、それが十分にできなければ、後者の面について、考える余地がなくなります。
そうすると、前者の面を構成する「企業としての判断」が、なによりも優先される場面があるかもしれません。

いずれにしても、エンドユーザから対価をもらってサービスを提供しているという点では、図書館も企業も全く同じ。

今回の件は、改めて、「何も最も重視するか」を考えるきっかけになるのではないでしょうか。